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それは俺たちが絶対に手に入れられないもののための、静かで平穏なダンス。

どうも。
沖津です。

前回、水谷がお金の話をしました。

またお金の話をします。


最近、お金にまつわる話を聞くことが多いです。


「お金を稼ごうと思ったら、真っ当なやり方をしていてはダメだ。」

「あの人は、●●●●なやり方をしたから、成功した。」

「人を人と思っていたら、ある一定以上の経済的成功はできない。」


ここ最近、なぜかいろいろな人にお金の話をされます。
そのためか(?)社内でも、お金にまつわる理想と現実論を交わしてしまいます。


反論はあろうかと思いますが、僕だって上述の意見が現実の一側面を表しているとは思います。


人が物理的に食っていかなければならない以上、経済は人の上に神として永遠に君臨する。


基本的人権、法の下の平等、良心の自由…。
あらゆる自由と平等を「支配者」は民衆に目くらましのように押し付けてきた(誤解を恐れずにこう表現します。)けれども、おそらく「経済的平等」だけは、人類が存在している以上、永久に実現されないでしょう。

なぜならそれが「権力」だから。

経済の本質を冷徹に見つめていたことにおいて、マルクスは逆説的に支配者のために存在していると言えるでしょう。


僕は共産主義者ではありませんが、いろいろと最近考えてしまいます。

世界は「構造的暴力」に満ち溢れている、と。

うーん。
ごめんなさい。
わかりづらい表現になってしまったかも知れません。

でも今は他にうまく表現できないので許してください。


こういうことをウダウダと考えてしまう時点で、ビジネスの世界では難しいのだろうと考えたり…。


ハングリー精神が足りない、とうちの社員からも叱咤される沖津です。


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