発達した市場経済の「神の見えざる手」は、陳腐化へ人々を導くのか。
「植物育種研究所」は、「さらさらレッド」という新品種の玉ねぎを開発している野菜や花卉の種苗開発北大発ベンチャーです。
「ジョナゴールド」「ふじ」「デリシャス」といえばリンゴ。
「巨峰」「デラウェア」といえばブドウ。
「北あかり」「男爵」「メイクイーン」といえばジャガイモ。
果物や穀物は、品種で売られているのが普通になっていますよね。
でも野菜は「ゴボウ」「玉ねぎ」「にんじん」「大根」など一括りにされて売られています。
品種で選ぶことができないですよね。
今日、岡本社長に指摘されて、恥ずかしながら「あぁ。そういえば」と目から鱗でした。
岡本社長は、「野菜もニーズに合わせて消費者が選択できるものを創りたい」と大きな種苗会社を辞めて独立の道を選んだそうです。
(詳しくは後日更新のInnovators’ Modeで。12月11日更新予定です。)
「野菜の世界も同じなんだなぁ」とちょっと的外れかもしれませんが思いました。
どういうことかというと、市場原理のもとでは、「売れるもの」だけが残されていく。
しかし「売れるもの」と「本当にいいもの」は同じとは限らないという寂しい現実があります。
例えば、最近の札幌の街。
例のフリーペーパーの普及と共に(?)、「美味しい」と思うお店は急速に減っていきました。
どこに見ても、巨大外食チェーンの経営する工場調理の料理を出す店ばかり。
そして映画館。
シネコンの登場と共に、話題作やハリウッド製の大作ばかりが上映され、地味だけど良質な映画を上映する小さな映画館は姿を消しました。
とある大手レコード会社の入社面接では「あなたはいい音楽と売れる音楽どちらを優先しますか?」という意地悪な質問を出すことがあったそうです。
「商業主義」と「アーティスティックなもの」は相反するものなのかもしれません。いつの時代も。
「全てのものは大衆化すると陳腐化する」と言った人がいますが、悲しいかな、反論できませんね。
「本物の芸術は奴隷制のもとにしか生まれない」と言った人もいます。
(つまり、生産ということを考えなくてはならない時には芸術は生まれない、ということですね。)
経済性を追求すべき企業人として生きることと、こうしたことを考える自分は、時々ものすごい勢いでかけ離れた存在になります。
「大勢に売れる野菜」しか作られていない、という話から、そんなことを考えた金曜日。
