comには「共に」という意味がありますよ。
どうも。
沖津です。
最近、偉そうなことばかり書いてますので、今日も偉そうに行こうと思います。
(わざとなのか?)
以前も書いたような気がするのですが、僕は結構恐がられます。少なくとも第一印象は。
(ブログ読めばわかるか…)
「ものごとをはっきり言い過ぎる」とよく社内でもたしなめられます。
自分でもわかっているのですが、なかなか変われません。
変われないものはしょうがないので、それがどこからやってくるものなのか考えてみました。
先日、キャリナビスタッフがお世話になっているコーチングの先生から聞いたのですが、「コミュニケーションとは何ですか?」と聞かれた時に、「自分の考えを伝えること」と回答する人がかなりの多数派であると聞いて、愕然としました。
僕はコミュニケーションとは、「互いのギャップを埋めていく作業、共通部分をすり合わせていく作業」だと思っています。
(Communication という言葉の語源自体が、「共同して理解を作り上げる」みたいな意味ですね。)
僕は「人の価値観は違う」ということをいつも前提にしています。
だからこそ、お互いの考えや価値観を主張しあい、理解しあうことが大切だと思っているのですが…。
僕は自分の価値基準がはっきりしています。
だからこそ、なのでしょうか、僕は自分の好きなことや自分が価値を感じているものに関して、悪く言われたり、興味を持たれなくても、なんら傷つきません。
「サッカーはつまらない」と言われても、人が面白いと思うものは違って当然です。
「ロックは時代遅れ」と言われても、その通り。全く真実だと思います。
全く腹も立たないので、自分も他人に対して好き嫌いをはっきりと発言するのかもしれません。
でも、大概の人は自分の好きなものや価値を感じているものに異論を唱えられると、腹を立てるみたいですね。
だから僕は「はっきり言い過ぎる」とか「恐い」とか言われるみたいです。
皆さん、人の価値観は違って当然だという認識から始めませんか^^;?
そうすれば、好きなものを批判されても腹も立たないと思いますし、むしろいろんな価値観の人と分かり合えると思うのですが。
極論すれば、異なった価値観を受容できる人ばかりになると、戦争はなくなりますよ!
おおげさですが。
