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ブラックユーモアとは、厳しい自己認識を強いるものである。 という言い訳。

どうも。
沖津です。

渡邉がすごいペースで更新を始めました!
目覚めたのでしょうか(?)。
その代わり、notoの更新が途絶えました。
辞めたのでしょうか?
キャリナビで転職したのでしょうか?
それとも死んだのでしょうか?


なんてブラックユーモアがうちの会社では頻繁に飛び交います。

僕は昔から、ジョークが大好きでした。
笑い上戸だし、皆が真面目な場面ほどおかしくてしょうがなかった。
切羽詰った場面でも笑いのない余裕のない状況は我慢できない。
子供の頃から、ユーモア、特にブラックなものを連発してきたと思います。

でも正直言うと、それで一体どれだけの人を傷つけたかわかりません。

自分はいつもユーモアのつもりなのですが、結構本気に取られてしまって、「皮肉」「悪口」と理解されることも、とてもとても多かったと思います。

僕は真顔で、しかも吐き捨てるように冗談を言う傾向にあるので、それを「ジョーク」だと理解してもらうには、かなりの洞察力を要求するようなのです。

自分はいつも「ジョークだとわかってもらえる」と勝手に期待しているのですが、実は理解されていない。そこにギャップが生じています。 
ですから僕のことを「面白い」と思ってくれる人は3割。
7割くらいの人には、「恐い」「冷たい」「素っ気ない」と思われているという自覚と反省があります。
これはもう小学生くらいの頃からずっとそう思ってきたのですが、人の性格というのは簡単には治りませんね。

自分がいくら「ジョーク」だと思っていても、他人にとって僕が「冷たさ」「恐さ」を感じさせるならば、その人の世界で僕は「冷たい」人として存在しているのは絶対的真実です。
それは誤解ではなく、その人にとっての真実。
だからこそ、相手に合わせた態度、ユーモアの程度、口調などに気をつけなければならないなぁ、とは思っているのですが…。
僕自身がどうしてもヒネリの効いたブラックなユーモアやそれを持ち合わせた人が好きなもので、だからこそ直せないのかもしれないですね。


同じようなジョークを言っても人から一切嫌われない人もいますし、これはもう「人徳」とか、持って生まれた「雰囲気」の差なのかもしれないですね。

全ての人から愛されたいわけではないですが、わかる人だけわかればいい、という考えも好きじゃないので、こういう葛藤はいつも抱えてきました。

きっと本質は寂しがりやなんでしょうね。

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